書く1 | ホイアンナのエーデルな日々

書く1

仕事は大好きであるし、
こんなに恵まれた仕事と働き方を
享受できることには
己の強運を思わざるを得ない。

仕事の発展は、大きな喜び。
仕事によって充実感も持てる。

でもそれは、
脳ミソ好みの刺激だったのだと、
最近、ようやく気がついてしまった。

刺激は刺激だから、
中毒性があるわけだけど、
あまり続くと、何か違和感が出る。

疲労感とは別物の、
何か満たされていない、
独特の感覚がついてまわる。

そんな時、ゆっくり自分をみると、
書いてよね!と、プンプン怒っている
自分がいるのである。
心のほうに。

小さい頃から、思い付いたら
文でも音でも撒き散らす方だった。

だから、根元的に、
表したいタイプであることは認識している。

ところが、どうやら、
撒き散らして表現できれば、
なんでもいいわけでもないらしい。

なんでもよいから、書けば
心が満たされるかというとそうでもなくて、
心が欲している何物かを書くように
むしろ説教を受けてしまう感覚。

という訳で、すったもんだの末、
これを書くのだろうな、という意識は
年々強くなってはおる。

もはや、痛々しい思い込みが使命感と
名を変えそうな危険水域まで
やってくるくらいには。

ま、さっさと書けよ、って話。

そんなこんなのプロセスを経て
気づいてしまったことがあるのだが。
どうやら人は、頭で恋愛ができるらしい。

え、そんなの常識ですか。
そら、すんません。

いや、あたくし自身が、この、
頭と心の感覚が捉えられるように
なってきた今、過去を振り返ると、
なんか頭で恋愛してたなーって
思うことばかりでしてね。

結構、惚れっぽいっていうか、
この人もいいけど、この人もいいね、
みたいな感じっていうか。

平たく言えば、ぐらんぐらん。
で、すぐ執着するのね。
頭だから。

でも、心と頭の違いを
なんとなく自分が体感してから、
心が作り出す想いの質的な違いに
驚いておりまして。

その人が存在してくれることへの
喜びというか、感謝というか。
想いがここにあることへの、
喜びと感謝というか。
そんなものに満ち溢れる。

そして、本当にぶれない。
不思議なくらい。

むしろ、ぶれてほしいんだけど。笑
消えてほしいんだけど、いい加減。笑
あんな思いしたのに、なんで、また。笑

消えていいっすよ、って、
ぶっちゃけ語りかけてるんですがね。
心は平気の平座。

でもね、私は、私の心を
大切にすると決めているのでね。

この文章も、自分の心を
大切にしているから書いているだよね。

この想いが、私をどこに連れていって
くれるのかって、それも面白いじゃない。

ま、とりあえず、
改めて書きはじめましょうか、ですな。