足とこころ。
地味に過ごしたクリスマスも終わりまして。
そういえば、去年はなにしてたのかな、と思って。
正直、記憶がほとんど無いのですが、
たぐりよせたら、雪山講習のスタートの日でした。
山岳ガイドの先生達が、クイズをやってくれたり、
フルーツポンチを作ってくださったり(担いでくださってた!)、
それはそれは楽しかった山小屋での想い出。
すら、たぐり寄せないと思い出せないくらいの1年でした。
ほぼ、気を失ったような状態で参加していたのではないかと。
実際、この1年、半分くらい気を失っていたような気がする。
いろいろ、受け止めきれなかった。
思い返せば、足の状態もその頃からおかしかったのだ。
2016年の11月の上旬くらいから痛み始めて。
雪山はだましだまし。
ところが、5月の上旬の最後の雪山をきっかけに
全く登れないコンディションになってしまった。
高尾山ですら痛むという状態に。
針灸師いわく「どうしてこんなになるまで放っておいた」と。
いや、私としては結構これでも痛みは取れて来たと
思っていたのでありますが。
でも、振り返ると、足の状態と心の状態は
まったくもって連動していたのですね。
心って自分ですら見過ごすことができて。
多分、足の痛みは、見過ごさないように出て来たような
ものなんじゃないかと。
私が、これだけぼろぼろになっているということを。
実際は、相当な痛みを発していたのに、まだ登り、
心はおろか足の痛みすら無視しようとしていたアタクシ…。
雪山はテンションだけで登っていたような
ものなんでしょうね。
あと、夏山に比べてゆっくり歩くから(初心者なので)
それもなんとかやり過ごせた要因かもしれぬ。
今、ボロボロだった足は、少しずつ本格的な
治癒に向かってきておりまして。
きっと心もそうだと思う。
ボロボロのボロボの底で、自分の心を選ぶ、
という決意をして、少しずつ形を取り戻してきた。
私が私の心を信じなければ、
足と同じように心も壊れていたかもしれない。
本当に、ぎりぎりの紙一重だったと思う。
外から見たら、ただの地味なクリスマスだけれど、
私は、自分が感じている気持ちを大切に、
ただ、今、おだやかにいられることに感謝できる
とても大きな意味を持つクリスマスでした。