年の暮れ | ホイアンナのエーデルな日々

年の暮れ

特に苦労もしないで飄々と育ってきたような風で、

愛だのなんだの語るなっていう風向きが、

世の中には少しばかりあるような気がするのです。

 

私は、人を愛するという言葉を

結構、簡単に、使う方です。

 

すると、愛はそんなに簡単に語れるものじゃない。

薄っぺらいもんじゃない。

愛とかなんとか言ってるやつなんて信じられない。

とか、色々風にのって聴こえてくる。

 

なるほどね。

まあ、でも、その人がどんな過去を持っているかなんて、

実は、一番近い人でも分からないものですしね。

 

私は、実は、友人にも過去の恋人たちにも

誰にも言っていない経験があります。

多分、結構、壮絶なこと。

 

けれど、私はそれを自分のアイデンティティに

したくなかったので、言っていない。

多分、しようと思えばそれである意味、

一生食べて行けるくらいの経験ですがね。笑

 

私は、その経験にフォーカスするのではなくて、

そこから産み出されたものと共に生きて行こうと、

なんとなく思ったのです。最中の時期に。

 

それで、恨み、怒り、悲しみ、不安、恐怖などの感情に

毎日取り囲まれていたある時期に、その感情を、

ぐるっと、ものすごく強い餃子の皮みたいので

包み込んで飲み込んでみたんです。

 

そしたら、急に感情の質が変わった。

その変わった感情の質を言葉で表したら、

愛みたいなものかな、と思った。

 

そしたら、腑に落ちたというか。ね。

ああ、私は愛することができるんだ、って思って。

経験そのものを憎み続けることも、

糧として生業につなげることもできる。

全部、自分次第。

 

で、私は、愛することが出来る自分を

確かめたんだ、と思って。

 

だから、私は愛という言葉をよく使います。

自分の力を一番よく表した言葉だと思っているから。

といっても、ここ数年だけどね。

 

いつか、愛を交換出来る人と、

本当につながることができたら、

私は初めて、その人だけに話をするんだろうな、

なんて思います。

 

そういう意味では、とっておきの

いい経験をしたもんだ。